「自分の責任で自由に遊ぶ」

🌏 世界のプレーパーク

「遊びは、子どものいのちそのもの。」

プレーパークのはじまりは、第二次世界大戦直後のデンマークにさかのぼります。

荒廃した都市の中、子どもたちは壊れた建物や瓦礫を使い、自由に遊んでいました。

そんな光景を見ていた一人の造園家、**テオドール・ソーレンセン(Theodor Sørensen)**は、強く心を打たれます。

「子どもたちは、何もない場所でも、自ら遊びをつくり出す。

遊具ではなく、想像力こそが子どもにとって最高の遊び道具なのだ。

この考え方から、1943年、**世界初の「廃材遊び場(スクラップ・プレイグラウンド)」**がデンマーク・コペンハーゲン郊外に誕生しました。

そこでは、子どもたちが自由に木材や古道具を使って基地を作ったり、火を起こしたりすることが許されていました。

大人は指導者ではなく「プレイワーカー」として見守る立場に徹し、子どもの主体性を尊重する空間が実現されていたのです。

このユニークな取り組みは、戦後のイギリス、オランダ、ドイツなどヨーロッパ各地へと広がり、

やがて“アドベンチャー・プレイグラウンド”という名称で知られるようになっていきました。

🌱造園家が「遊び場」をつくろうとした理由

テオドール・ソーレンセンが見つめた都市と子どもたちの関係

テオドール・ソーレンセン(Theodor Sørensen)は造園家であり、都市空間をどう設計すべきかを考える専門家でした。

そんな彼が「子どもの遊び」をテーマにしたのは、単なる興味ではありません。

都市の風景と人々の暮らしは切り離せないという信念があったからです。

1940年代、彼が活動していたデンマークでは高層住宅の建設ラッシュが始まっていました。

効率的な都市づくりが求められるなかで、上層階に住む子どもたちが地上の広場まで降りるのが難しくなり、

子どもたちの遊びの機会が著しく減っていくという現象が起きていました。

ソーレンセンはその変化を見逃しませんでした。

「都市の中に“遊びの場”がなければ、子どもたちの心と体が壊れてしまう。」

実際、遊ぶ機会を失ったことで、子どもたちの間にストレスや不安、落ち着きのなさといった問題が増え、精神面での不調を訴える子どもが増加していたと言われています。

これは、ただの遊び不足ではなく、**都市計画による“暮らしの歪み”**が子どもたちに直接影響を与えている証拠でした。
そこで彼は、造園家としての立場から都市設計の中に子どもの遊び場を組み込むべきだと強く主張します。それも、既製の遊具を並べるだけの画一的な「公園」ではなく、子どもが自分の力で遊びを発見し、創造できる「場」の必要性を唱えました。

そこで彼は、造園家としての立場から都市設計の中に子どもの遊び場を組み込むべきだと強く主張します。

それも、既製の遊具を並べるだけの画一的な「公園」ではなく、

子どもが自分の力で遊びを発見し、創造できる「場」の必要性を唱えました。
こうして彼が提唱したのが、**廃材や自然素材を使った自由な遊び場「冒険遊び場」**でした。

これは単に楽しい場所ではなく、都市における子どもたちの“生存空間”として設計された、造園思想と福祉思想が融合した場だったのです。