プレーパークってなに?

1970年代初頭、都市で遊ぶ子どもたちが窮屈そうに見え、自分たちの子ども時代との違いに疑問を感じた一組の夫妻がいました。欧州の「冒険遊び場」を参考に、夫妻と地域の住民が協力して手作りの遊び場を作り始め、1979年には日本初の冒険遊び場「羽根木プレーパーク」が世田谷に誕生しました。

その後、プレーパークのアイデアは全国に広がり、351の団体が同様の遊び場を開催しています。
一方で、都市化の進展に伴い、所沢市の人口は1970年の137,881人から2023年には343,529人へと急増し、雑木林を開拓して住宅地に変えていったことで、動物たちが生息地を失って行く姿は「平成狸合戦ぽんぽこ」に重なって見えます。

都市化の勢いは動物だけでなく、子どもたちの遊び場にも変化をもたらしました。かつて風を感じながら駆け抜けた原っぱが駐車場に変わり、優しい気持ちでお花を摘んだ豊かな土壌も今では立ち入りできない場所になっています。

都市公園も作られましたが、ほとんどの公園ではボール遊びや大声が制限され、木登りは当然のこと遊戯まで禁止する標識を見ると、元気よく遊ぶ事など求められていないのだと心を痛めてしまいます。

子どもが自由に遊び、創造的に成長する環境を保つことの重要性は高まっています。

「自分の責任で自由に遊ぶ」をモットーとするプレーパークには、決まったルールはありません。「大人は口や手を出さず、子どもたちの遊びを見守る」スタンスが基本。
分かりやすく言えば、子どもが何をしていても、できる限り「ダメ!」と言わず見守ってあげるのが私たちの方針です。